『手帖』のキャプション
「靴」「ハイ、女王様」自分は女の服を着て、女主人の長靴を穿かせたり脱がせたりするのは、セルヴェリストにとっては最も楽しい作業である(Ｒ・シュリヒター筆)

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昭和24年『少将滋幹の母』執筆の頃の谷崎潤一郎　(平安神宮内苑にて、松子夫人と)

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女優淡路恵子と語る谷崎潤一郎　(昭和32年熱海伊豆山の谷崎邸にて)　谷崎は顔の好みからも彼女をひいきにしたことについて、第54章附記第1参照。

『手帖』本文_抜粋
ヒルシェフェルトは『性病理学』において、"倒錯男性(メタトロピスト)は何になりたいと欲するか"との題下に、次の五つを分類列挙している。
　(イ)セルヴェリズム (Servilismus)
　(ロ)小児化倒錯　(pueriler Metatropismus)
　(ハ)異装(女性化)倒錯 (transvestitischer M.)　
　(ニ)畜化倒錯　(zoomimischer M.)
　(ホ)物化倒錯 (impersoneller M.)

これらは、成熟した社会人たる男性から、地位、年齢、男性、人間性、生命等の属性をそれぞれ剥奪した場合に到達するものと考えられる。
本章で説明しよういとするのは、右のうち、最初のセルヴェリズムである。

(中略)
≪沼は、このセルヴェリズムを「召使い願望」と訳しました≫

召使い願望はマゾヒズムに含まれる支配・被支配の契機がいちばんありふれた日常的な形をとったもので、常識的な、ゆえにまた、正常に近い願望形式である。

「僕は貴女の奴隷です、召使いです」
といった言葉は、恋人に対してささやかれる場合、決して変態的ではない。恋人(妾に転義されるが)をmistressと呼ぶのも、それが一般化したからだ。

行動においても男性が騎士的に女性をいたわり、奉仕する態度は外見上召使い同然のことが少なくないが、正常感を失わない。

それが異常視されるのは、その奉仕が屈辱の表現として自己目的化し、性感と結びつく場合のみである。だから、正常な恋愛形式から、マゾヒズムのこの入門段階への移行は比較的容易である。

召使い願望者は女の召使い(サーバント)になって、女に使われたいのである。奉仕したいのである。
(中略)
参考として、映画『北ホテル』の一場面があげられよう。ダビの原作にない「女王様ごっこ」の場面をカルネが付加している。

アルレッティの演ずるすれっからしの年増の街娼レイモンドは、同棲していたエドモンに捨てられ、仕方なくエドモンの代用品として、今まで求愛されていたがいつも振ってきたデブ(俳優名失念)を採用するが、売手市場だからむずかしい注文をつける。
奴隷の奉仕を命じるのだ。
男はもちろん承諾する。

彼女が日も高くなって目をさますと、彼はベッド傍(わき)に侍っている。
「櫛」
「ハイ、女王様」と渡し、
「化粧着」
「ハイ、女王様」とささげる。

ベッドで身ずくろい終わって、
「靴」「ハイ、女王様」とひざまずいて、彼女の足(アルレッティは脚が美しい)を手に取って穿かせる。

と、そこへ彼女の客がやって来る。彼女は、靴を穿かせ終った男を「奴隷にもう用はないよ」と追いやる。男は残念そうに、しかし、口答えもできず、出てゆく……

マゾ・プレイと言ってしまえばそれまでだが、しかもこんなお芝居が、女性への奉仕衝動に憑かれた男にとっては、臥所(ふしど)を共にしての喋喋喃喃（ちょうちょうなんなん）の
数刻よりも楽しいのだ。

マゾッホの名作『毛皮を着たヴェヌス』も、この段階におけるマゾヒズムの作品である。

貴婦人に仕える黒人侍童

さて、このセルヴェリズムをもう少しマゾ的に精錬するとパジズム(Pagismus)になる。

侍童を意味するPage(パジェ)の語から、クラフト・エビングが造語したものであるが、セルヴェリズムとの最大の相違点は、女主人との肉体的交渉を観念上まったくオミットしている点にある。

(中略)

こう見てくると、パジズムというのは、その年齢より、むしろ女主人への清純な奉仕に本質がることが分かろう。

貴婦人崇拝と多く一致するのも、身分の相違が肉体の交渉の障壁になっているという点で、清純な奉仕へ導きやすいからであって、かりに下賤の女性でも、肉体の交渉をあきらめている場合には、これをパジズム的と称して差しつかえあるまい。

前記の『北ホテル』にせよ、『毛皮を着たヴェヌス』にせよ、その意味では、パジズムの例にあげてよいかもしれない。

【馬・註】
沼の言う「パジズム(Pagismus)」の語源「パジェ(Page)」は英語読みすると「ペイジ」。
英語の"page"は、普通は「頁」を指しますが、「小姓・給仕」の意味もございます。
ですから、「パジズム」は英語でいうと「ペイジズム」になるでしょうか。

ところで、沼は、
侍童を意味するPage(パジェ)の語から、クラフト・エビングが造語したものであるが、
と、Pagismusという語をクラフト・エビングが作りだしたように書いていますが、『病的性心理』の英訳では、
The patient found that, besides what he recognised and felt as masochism, there was something else which he preferred to designate "pageism".
「その患者(patient)は、彼がマゾヒズムだと思っていることのほか、マゾヒズムとは違い、彼自身は"ペイジズム"と呼びたがっている(preferred to designate"pageism")ものがあることに気づいた」
となっており、クラフト・エビングが造語したわけではないようです。

それはさておき、この「患者」の場合、鞭打たれたり命令されたりすることには性的興奮を覚えるものの、「美少女に小姓(page)として仕えたい」という夢想には、なんら性的なものはない、と言っていたそうです。

ただ、クラフト・エビングは、それもやはりマゾヒズムだと言っています。