ナターシャ
作・たぬべえ
第壱部
ナターシャ・ロセンスキーの生い立ちを紹介しよう。

1985年、モスクワに生まれた。

父は陸軍の将校、母は従軍看護婦という軍人家庭に育ったナターシャ、厳しい家庭環境で育てられ、父の後姿を見て軍人になろうと、16歳で士官学校に入学した。

20歳で少尉となり陸軍に入った。

前線を希望したが、美人のナターシャが配属されたのはモスクワの広報部だった。

ここで陸軍のプロパガンダ番組のレポーターをやることになった。
それも任務であると、ナターシャは笑顔で、あちこちの軍施設のレポートを行っていた。

ナターシャ少尉殿（イメージ)


番組のプロデューサー、イワン少佐は33歳のエリート将校だったが、とんだセクハラ男だった。

「どうだい、ナターシャ、スタジオでメインのキャスターをやらないか。君の美貌をもってすれば問題はないが、ただキャスターをやるについては、プロデューサーの僕とじっくり一晩語り合ってみようじゃないか」

イワンの手がナターシャの尻に伸びた。
ナターシャはイワンの手をピシャリと叩いた。

「おい、上官にそんな真似をして、ただで済むと思うなよ」
イワンは捨て台詞を残して消えたが、その後、ナターシャにちょっかいを出すことはなかった。
ナターシャの父、ロセンスキー大佐が司令部の総務課長を務めていたから、うっかり手を出して告げ口されては困ると思ったからだ。

イワンのターゲットはアシスタントディレクターのサーシャ一等兵に向った。
サーシャは19歳。
母親が病気になり、モスクワ勤務を希望し広報部に赴任した。

「サーシャ、俺の言うことをきかないと、前線に行ってもらうことになる」
「そんな……」
「前線に行きたくなければ、今夜、俺の部屋に来い。いいな」。

泣きながら走り去るサーシャを見たナターシャはすべてを察した。
「イワン少佐」
「なんだ」
ふり返ったイワンの目と目の間に、ナターシャの鉄拳が飛んだ。

イワン少佐はセクハラが露見し、前線へ飛ばされた。
だが、
「お前も上官を殴ったんだ。ただでは済まんぞ」
ロセンスキー大佐は娘に言った。

「私はどんな罰でも受けますが、サーシャ一等兵には穏便な処置をお願いします」
ナターシャは父に言った。
「わかっている。サーシャ一等兵は今まで通りだ」
「ありがとう、パパ」

ナターシャはシベリアの田舎町の駐屯地へ赴任となった。
隊長は、ゴルゾフ中尉、退官間近の老人。
兵は２０名しかいない。
主な仕事は密猟者の取締りだった。
ナターシャはそこの副官を命じられた。

ナターシャが赴任したので、いままで副官だった地元出身の青年、ドビッチ伍長はナターシャの従者となった。
本来、将校の従者は新兵の仕事である。
部屋の掃除やお茶汲み、ブーツ磨きや下着の洗濯までもが従者の仕事だからだ。

だが、古い体質の残る田舎町だ。
女性の将校、しかも若くて美人の従者になるのは、いくら二等兵とは言え男の沽券が許さなかったのだろう。
新兵たちはナターシャの従者になることを拒んだ。

「いいのよ。私は自分のことは自分で出来るから」
ナターシャは言った。
「そうはいきません」
ドビッチ伍長は新兵の一人に従者になるように言った。

「戦場では少尉殿の命令には従いますが、ブーツ磨きや洗濯は勘弁してください。
女のブーツ磨きと仲間に笑われます」

別の新兵は、
「俺には女房がいるんだ。
下着の洗濯は女房のだけで勘弁してくれ」
と泣き出した。

「将校に従者がいなくては示しがつかない。
わかった。少尉の従者は俺がやるよ」

こうして、昨日まで副官だったドビッチ伍長がナターシャの従者になった。

副官室に戻ると、椅子に座ったナターシャの前にドビッチが跪き、ブーツを脱がせた。
執務に掛かると、熱い紅茶が出て来た。
ドビッチの従者はかゆいところに手が届いた。

「なんでそんなに気が利くのよ」
「新兵の時に、ゴルゾフ隊長の従者でした。
今でこそ好々爺ですが、昔は厳しくて、従者の心得を一から叩き込まれました」

「そうなんだ。
でも、あなたはどうなの？　
昨日までこの部屋の主人だったのが、今は従者になって、女のブーツを磨いていて、屈辱ではないの？」

「屈辱だなんて、とんでもない。
上官に気持ちよく仕事をしていただけるのは、軍人としての職務です。
あいつらにはわかってないんです」
こうして、シベリアの山奥での生活が一年ほど続いた。

「密猟者の集団が現われた。
一人残らずひっ捕らえろ」
コルゾフ中尉がナターシャに命じた。

そろそろ春が来ようという頃だが、まだ雪が残り寒い朝だった。
一団は、保護区に入り込んだ密猟者たちが冬中かかって集めた動物の毛皮を買い取って回る、いわばブローカーだ

ナターシャはドビッチの他、兵士五名を率いて雪上車三台で山へ向った。
密猟者はすぐに制圧したが、雪上車一台が密猟者の銃弾を浴びて動けなくなった。

「俺とブルガー二等兵が残るから、少尉殿は他の四名と密猟者を連行して基地へ戻ってください」
ドビッチが言った。

「いいえ。隊長は私よ。私とブルガー二等兵が残ります」
「わかりました。
なら、隊長の従者は自分です。隊長と自分が残ります。
ホッチス上等兵、雪上車の指揮は任せた。
２時間で迎えに来いよ」
「了解しました」

雪上車は走り去った。
２時間、残雪の残る山で、ナターシャとドビッチは二人きりになった。
動かない雪上車に乗って、とりあえず寒さを凌いだ。

「退屈ですね。隊長、ゲームでもしませんか」
突然ドビッチが言った。

「何よ、ゲームって？」
「日本のゲームでジャンケンというのを知ってますか？」
「日本のゲーム？　知らないわよ」
「簡単に勝負のつく面白いゲームですよ」
ドビッチはジャンケンの説明をした。

「面白そうね。
いいわ。暇だからやりましょう。
でも、負けたら、なんか罰ゲームとかあるの？」
「自分が負けたら、素裸になって、表に出ます」
「マジ？ホントに？言ったね、伍長。ホントに負けたら素裸で表に出るんだね」
「はい」
「よし。ジャンケンポン」。

ドビッチは負けた。
「あちゃーっ！！」
ドビッチは素裸になりると外へ出て行った。

「やだ。ホントにやるなんて。バカじゃないの」
ナターシャはドビッチを追って外へ出た。
「隊長！いいえ、ナターシャ様」
言うとドビッチは全裸のまま、雪の上に跪いた。
ドビッチの男性器は、極寒の中、天を貫くようにそそり勃っていた。

「どうしてあげればいいの」
ナターシャは言った。
ナターシャは処女だった。
そそり勃った男性器を見るのははじめてだった。
その異様さに、ドビッチがとんでもないことになってしまったのではないかと狼狽した。

「こんなものをお見せして申し訳ございません」
ドビッチは目に涙を浮かべてナターシャに詫びた。
ドビッチも自分の理性に反して、上官の前で勃起してしまったことを恥じた。
そして、美しい上官を男として愛してしまっていることに気が付き、狼狽した。
それは軍人としては許されないことであった。

「ブーツで」
ドビッチはつぶやくように言った。
「ブーツで、ペニスを蹴り飛ばしてください」

「そんなこと出来ない」
ナターシャも狼狽した。
「お願いします！」
そうでもしなければドビッチは自分の勃起が収まらないであろう事を知っていた。

ナターシャはうなずいた。
しかし、男性器を蹴り飛ばすなどということは出来なかった。
ブーツの先でほんのちょこっと、ドビッチのペニスに触れた。
「あーっ！！」
ドビッチは獣のような咆哮を発した。同時に雪の上に、白い液体が飛び散った。

二人はしばらく無言だった。
しかし、そこは春とは言え、まだ残雪の残るシベリアの大地だった。
このままではドビッチは凍え死ぬ。

「早く服を着なさい」
ナターシャはドビッチに命じた。
遠くでエンジン音が聞こえた。
救援の部隊が来たようだった。

駐屯地に戻ると、ドビッチは脱ぎ捨てられたナターシャのブーツを磨いた。
もしや自分の精液がついていたらと思うと、いてもたってもいられず、２時間以上もブーツを磨き続けた。

夜。
ナターシャは隊長のコルゾフ中尉に密猟者討伐の報告書を提出すると自室に戻った。
そしいて、鈴を鳴らした。
「ドビッチ伍長」
「はい、少尉殿」
忠実な従者はすぐに現われた。

「昼間のことだけど」
ナターシャはそう言うと、黙った。
ナターシャ自身、どう言っていいのかわからなかった。

ナターシャも自分に忠実に尽くしているドビッチのことが好きだった。
それは女性としての気持ちも含めて、逞しいドビッチの身体への憧れもあった。
しかし、自分は女である前に軍人だという思いで抑制もしていた。

だが、昼間のドビッチは軍人である前に男だった。
そして、上官の前でペニスから白い液を吹き上げたのだ。

だが、それをコルゾフ中尉に報告する気はない。
そのことでドビッチの軍人としての経歴に傷はつけたくない。
ナターシャもドビッチを愛しているのだ。

「申し訳ございませんでした」
ドビッチのほうから口を開き、従者は床に跪いた。

「ドビッチ伍長、あなたは私に対して邪な気持ちをいだいていたの？」
「それだけは決して違います。
自分自身で何故あんなことになったのかわからないのです。
許してください」
ドビッチは真摯な眼差しをナターシャに向けた。

少なくとも、モスクワでセクハラをしていたイワン少佐はこんな目はしていなかった。
それでも男のペニスは時に大きくそそり勃ち精を放つものなのだ。
それが自然の摂理なのだが、自然の摂理が許されないのが軍隊なのだ。

「ドビッチ、服を脱いで」
ナターシャは命じた。
ドビッチは黙って全裸になり、ふたたび床に跪いた。
ナターシャに制裁をされることを覚悟しているようだ。

ドビッチの股間は、我慢をしているのか、怯えているのか、茄子のように小さくぶらさがっていた。

「本来なら軍人として罰を受けてもらうところだけど、あなたが邪な気持ちでないことはわかっている。
だけど私の前で精液を出した失礼は許されないわ。
だから、私は少尉としてでなく、一人の女としてあなたに罰を与えるわ」
そう言うとナターシャは軍服を脱いだ。

ドビッチは驚いた。
従者として従っているが、女性だから。ブーツを履くのは手伝うが、着替えの手伝いは控えていた。
憧れの上官は軍服を脱ぎ捨て、従者の前で下着姿になった。

「ドビッチ、覚悟はいい？」
「はい。少尉殿……。いいえ、ナターシャ様」
ナターシャはドビッチの頬に平手打ちをはじめた。
何度も何度も。
ドビッチの頬は赤く腫れ上がっていった。

三十発以上平手打ちを食わせふと見ると、なんとドビッチのペニスは、昼間同様天を貫くようにそそり勃っていた。

どうしてなのかしら。
私の下着姿に興奮してか。
それとも男性は平手打ちされると勃起するものなのかしら。
ナターシャは悩んだ。
そして、このままドビッチを抱きしめてしまいたい衝動を抑えた。

「下がっていいわ」
「はい」
ドビッチは頭を下げると部屋から出て行った。

このまま平手打ちを続けていたら、多分ドビッチはまた精液をふき出していただろう。
ホントに男って不思議だ、とナターシャは思った。
同時にドビッチのことが愛しくてたまらなくなっていた。

明日、ドビッチには履いたままブーツを磨かせよう。
そして、いろいろ質問をしてみよう。
彼がどんな風に答えるのか、ナターシャは今から楽しみだった。

それまではナターシャの脱ぎ捨てたブーツをドビッチは磨いていたが、次の日から、ナターシャはブーツを履いたまま、ドビッチを足元に跪かせてブーツ磨きをやらせることにした。

ブーツ磨きの時間、ナターシャはドビッチにいろいろな質問をした。
「どうして男性は勃起をするのか」
「精を放つのはどのくらい気持ちがいいのか」。
そんな質問をしてドビッチを困らせた。

いつもしどろもどろになりながらもドビッチは答えた。
ナターシャは最後にはこう聞いた。
「私とセックスしたいのか？」

この質問にはドビッチは口を閉じてしまう。
ナターシャは苛立った。

「あなたは軍人としては優秀だけど、男としては駄目ね。
好きな女性に自分の本音もきちんと言えないの？」
「……」
「ペニスを勃起させていたということは、セックスがしたいからでしょう」
「……」
「したいならしたいと言いなさい」

「自分は軍人です。上官にそのようなことは言えません」
「では、私が上官でなければ言えるの？」
「……」

ドビッチはまた黙った。そして、
「しばらく考えさせてください」と言い、退出した。

次の日、ナターシャはコルゾフ中尉に呼ばれた。
「ドビッチ伍長が除隊願いを出したぞ。どういうことだ？　
勿論、そんなものは突き返したがな」
コルゾフは怒っていた。

「ドビッチ伍長、除隊願いってどういうこと？」
ナターシャは従者を呼びつけて言った。

ドビッチは床に跪いた。
「自分は軍隊を辞めます。
だから、一生個人的な従者としてお仕えさせてください」
ドビッチはそのまま、ナターシャの足元に両手をついて、頭をさげた。

「それはなんの真似？」
「日本人がよくやる土下座です」
「いいから、立ちなさい。立って話を聞いて」
ドビッチは立ち上がった。

「あなたの気持ちはわかった。
私の言い方が悪かったわ。ごめんなさい」

「いいえ、少尉殿が謝るなんて」
「あなたは優秀な軍人で、ロシア陸軍にとって必要な下士官よ。
いいえ、あなたなら将校になっても指揮官として能力を発揮できるはず。
だからお願い。二度と軍隊を辞めるなんて言わないで」

「しかし、上官を愛しているとは言えません」
「わかったわ。だったら、私が軍隊を辞めるわ。そして、あなたの妻になります。
でも家の中では、あなたの女主人よ。どう？」

ナターシャの思わぬ提案に、ドビッチは驚いた。
「あなたこそ、軍隊に必要な人だ」

「いいえ。私は女よ。限界がある。
やはり、軍は男の仕事だわ」

「しかし、伍長の安月給では暮らしていけません」
「だったら、将校になって」
「将校に？」
ナターシャの言葉に、今度はドビッチが驚いた。

「士官学校に入って将校になるの」
「勉強は苦手です」
「私が家庭教師になって、鞭でお尻を叩きながら教えるわ。どう？」
「……」

ナターシャにとって軍に未練がないわけではなかった。
軍人一家で育ったのだ。
だが、軍人の妻になって夫を戦場に送り出すのも、国のために重要な仕事だと考えた。
そのためにもドビッチに優秀な将校になってもらおう。

翌週、二人は同じ日に休暇をとった。
二十里ほど離れた山奥の村にあるドビッチの実家へ出掛けた。
ドビッチの両親や弟妹たちはナターシャを歓迎した。

ドビッチの部屋へ行った。
見たことのない品物がたくさんあった。
壁には、多分中国の文字が書かれた紙が美術品のように飾られていたり。
ナターシャの知っているモノでは、ゴジラという日本映画の怪獣の模型があった。

「もしかして日本が好きなの？」
「実は、自分の祖父の父は日本人なんです」
「まさか」

第二次世界大戦の時、満州にいた日本軍が大勢、ソ連の捕虜となりシベリアに抑留された。
祖父の母がそのうちの一人と恋に落ち祖父を産んだ。
その話を聞いてから、ドビッチは日本に興味を持ち、日本グッズを集めたのだという。

「それで、ジャンケンや土下座が好きなのね」
「土下座が好きなわけではありません。
日本の武士は、尊敬する主君や姫君に土下座をするのです」
「じゃ、結婚したら時々土下座をしてくれるのね」
「毎日します」

そして、ドビッチは引き出しの奥から一枚の絵を出した。
勿論、印刷されたレプリカであるが、見たこともないような色使いの不思議な絵だった。描かれているのは真っ赤な山だった。
「これが北斎。僕の一番好きな日本の絵です」
それがナターシャと浮世絵の出会いだった。

家族との食事のあと、ふたたびドビッチの部屋へ行った。
ドビッチは全裸になってナターシャの前に跪いた。
ナターシャも服を脱いだ。
今日はブラジャーもはずした。
女主人となると決めた以上、すべてをドビッチに見せたかった。
ドビッチの手には鞭が握られていた。

「それは？」
「どうかお尻を叩いてください」
ナターシャは鞭を受け取った。

ドビッチのペニスは今日も天を貫くようにそそり立っていた。
何発お尻を叩いたら、ドビッチは射精するんだろう。
ナターシャはそう考えると、鞭をふるのが楽しみに思えた。

「喜べ。モスクワに戻れるぞ。
中尉に昇進して、戦略室勤務だ」。
ゴルゾフ中尉は辞令をナターシャに渡した。

「どうしたらいい？」
自室に戻ると、ナターシャはドビッチに訪ねた。
「戻るべきです。モスクワに」
ドビッチは即答した。

「当分逢えなくなるのよ」
ナターシャは言った。
「仕方がないです。
戦略室はもともとあなたのいるべき場所です。
出世コースです。
ゆくゆくは将軍にもなれる」

「将軍になんかなりたくない。あなたの女主人になりたい」
「なら。私が軍隊を辞めて、あなたと行きます」
「それは駄目。そんなことは私の父が許さない。
あなたは来年、士官学校の試験を受けるの。
大丈夫。私がメールで勉強は教えるから」

「モスクワに行くのはいつですか？」
「来週の木曜日」
「一週間休暇をとりましょう。
私も休暇は貯まっていますから」

ゴルゾフ中尉は難色を示した。
副官と、実質兵をまとめている下士官が二人して一週間休暇を願い出た。
その間に、何か事件が起きたら、自分一人では対応出来ない。
いや、待て。こんなシベリアの山奥で、そんな事件は起きないだろう。
少なくとも自分が隊長になって二五年、事件なんか起きなかったよね。

それに……。
えーっ！！そういうこと？　
今まで気がつかなかった。
ロセンスキー少尉とドビッチ伍長って、もしかして男女の仲だったの！！
で、当分別れて暮らさなきゃならない最後の一週間を二人で過ごしたい？　
この休暇届にサインしなかったら、とんでもない野暮親父ってことか？　
ゴルゾフは休暇届にサインした。

近くの街にただ一軒あるホテルに部屋をとった。
部屋の中でのルールを決めた。
ドビッチはいつも全裸でいること。
ナターシャはなるべく鞭を手にしていること。

こうして女主人と従者の一週間がはじまった。
「日本のことを教えて」
「実は教えられるほど、詳しくはないんです。
日本語も話せない」
「そうなんだ」

「あっ、でも、祖父に教えてもらった日本の歌を知っています」
「どんな歌？」
「裏の畑でポチが鳴く」
「ポチって？」
「犬の名前です」
「カワイイ」
「カワイイですか？」

「ねえ、ドビッチ、これからあなたのことをポチと呼んでいい？」
「ポチですか？」
「そう。今からあなたは私の犬になるのよ」

ドビッチのペニスは今まででも最高に勃起した。
「ポチ」
呼ぶと同時に、ドビッチは大量に精液を噴出していた。

「犬のままでは従者としての仕事が出来ません」
「大丈夫よ。
ブーツ磨きはポチの舌でしてくれればいいわ」

「洗濯や食事の支度は？」
「じゃ、その時だけ魔法で人間に戻してあげる。
そして、セックスの時は、あなたが私に魔法を掛けて」
「えっ？」
「私も牝犬になるわ」

二人にはいくつかの関係が出来た。
少尉と従者、女主人と召使、女主人と犬、妻と夫、牝犬と牡犬。

時にはドビッチは馬にもなって、ナターシャを背中に乗せて床を走り回った。
「なんか、お馬さんごっこが楽しいわ」
「広い家を買わないと」
「頑張って。ポチ」

そんな一週間はまたたく間に過ぎた。
最後の日、ナターシャは街の雑貨屋で中古パソコンとデジカメを買い、ドビッチにプレゼントした。
基地には勿論パソコンはあるが、個人的なメールを基地のパソコンに出すわけにはいかない。
個人のパソコンがあれば、メールのやりとりが出来る。

「勉強でわからないことがあったら、いつでもメールで質問して。
夜中でも構わないわ」
「はい。わかりました。ナターシャ様が頼りです」
「それから、あなたの写真も送ってね」
「写真？」
「ええ。そそりたったペニスの写真や、土下座をしている写真よ。たまにでいいわ」
「わかりました」

別れの日は、駅で、お互いに軍服姿で敬礼で別れた。
「次に逢う時はドビッチ少尉殿ね」
「ナターシャ様は中佐くらいになってますよね」
「なるべく出世して除隊するわ。
そのほうが年金がたくさんもらえて、二人の生活が楽になるわ」

モスクワに戻ったナターシャは、戦略室の日本担当の任務に就いた。
「北方領土の問題はあるが、日本との関係は極めて良好だ」
久々に会った父のロセンスキー大佐が言った。

「ええ。
でも日本人は頭がよく勇敢な民族です。
この任務に就いた以上、私は日本について、より多くを知りたいと思います」

日本の軍事について知りたいのか、ドビッチの好きな日本を知りたいのか。
もしかしたら公私混同なのかもしれないが。悩みながらも、ナターシャは日本語学校にも通い、日本関連の書籍を漁り、休日は映画館で日本映画を見た。

半年ほどで、ナターシャは片言の日本語は喋れるようになった。
ナターシャの評価は高く、あれほどの人材をなんでシベリアなんかに飛ばしたんだという話になり、かつてセクハラでナターシャに殴られたイワン少佐の評判はがた落ちになった。むしろあいつをシベリアに飛ばせ、という声まで上がった。

ドビッチからのメールは毎日のように来たし、ナターシャも家に帰ると、ビデオカメラの前に鞭を手に立ち動画を撮って送った。
そして、一年が過ぎた。

ナターシャは毎日忙しい日々を過ごしていた。
一方のドビッチも軍曹に昇進した。

半年後に、守備隊の隊長、コルゾフ中尉が退官し、ハバロフスクから新任の隊長と副官として、ナグルスキー大尉とケルン少尉の二人の将校が派遣されて来た。
ドビッチは副官の任を解かれた。

「ドビッチ軍曹、君は前任の副官ロセンスキー中尉の従者をしていたそうだね」
新隊長のナグルスキー大尉が聞いた。
「どんな気分だ。女のブーツを磨くのは？」
「自分は……。上官の任務遂行のために尽くしていたまでです」
ドビッチは答えた。

「いや、気を悪くしないで欲しい。
軍隊には女は少ない。
ちょっとしたやっかみで聞いたまでだ。
時に、君は士官学校の試験を受けるそうだね」
「はい」

「将校になったら、ロセンスキー中尉からモスクワに呼んでもらえるような密約でもあるのかなぁ。
つまり、ロセンスキー中尉は司令部総務課長のロセンスキー大佐の娘だというではないかね」

何が言いたいんだろう、とドビッチは思った。

「つまり、僕が君の受験勉強に協力したら、どうなるかね。
僕はここの隊長ですべての決定権を持っている。
半年、君を閑職にしてゆっくり勉強する時間を与えることも出来るが、過酷な任務を課して勉強の時間を奪うことも出来る。
魚心あれば水心と言うではないかね」

つまり、ドビッチを通じて、モスクワ司令部のロセンスキー父娘とのパイプラインを作りたいということか。

嫌な気分になったが、相手は上官である。

ナグルスキーは野心家のようだが、それは悪いことではない。
軍に入った以上、出世を望むのは一つの目標である。
高い地位に就いてこそ国のために貢献出来ることもある。

事実、ドビッチも士官学校を受験しようとしている。
何もそれはナターシャとの結婚のためだけではないのだ。
ドビッチ自身が将校として一軍を指揮して戦ってみたいという軍人としての願望があるのだ。

だがナグルスキーのこうしたコネ作りのやり方は気分のいいものではなかった。
ドビッチは無言で敬礼をした。
ナグルスキーはニタリと微笑んだ。

日本からの要人の訪露でナターシャは警備の指揮をとることになり忙しかった。
「二週間ぐらい缶詰になる」
ドビッチにはそうメールし、任務に就いた。

二週間後、要人が帰り、くたくたになって部屋に戻った。
すぐにメールをチェックすると数日前のドビッチからのメールがあった。
「士官学校に合格した」
メールにはそれだけ書かれていた。
「おめでとう」とだけ返信すると、ナターシャは疲れて、その場に倒れこんだ。

３時間熟睡し、回復したナターシャは、モスクワ美術館で開催されていた日本展に飛んで行った。
日本の浮世絵も展示されていて、ナターシャは土産店で、浮世絵の図録と、北斎の赤冨士のレプリカを買った。
表装して掛け軸になっている赤冨士だ。
「送ってもらえますか。あて先は、シベリアの……」

帰り道、携帯電話が鳴った。
父からだった。
「あっ、パパ……、じゃないや、ロセンスキー大佐、何事でしょうか」
着信番号が司令部総務課からだったので、ナターシャは言葉を改めた。

「お前、シベリアの守備隊にいた時の下士官で、ドビッチ軍曹という男を知っているか」。知っているも何も、結婚の約束をした男だ。
だが、父にはまだそのことは言っていない。
「ええ。知っています」
ナターシャは答えた。
「親しかったのか」
「20人しかいない守備隊です。全員が家族みたいなものです」
「そうか」
ロセンスキー大佐の言葉に間があいた。

「どうしたの、パパ」
「ドビッチ軍曹は戦死したよ」
父はゆっくりとした口調で言った。


第弐部







back to 「他力本願」目次
back to MAIN MENU(Nihongo)
back to MAIN MENU(English)