たぬべえ_「塞翁が馬」

塞翁が馬

作・たぬべえ

６

「おい、ちょっと待てよ。
別れるって、どういうことだよ」
長髪の、わりとイケメンの男だ。
あゆを追い掛けて、腕を掴んだ。

「もう嫌なの。旬君の浮気で悩むの」
あゆは小声で言った。
そこは駅のコンコースだったから。
まわりには聞かれたくない。

「俺はいつもあゆのことしか考えいないよ。
ただ」
旬はあゆの目を見て言った。
「しょうがねえだろう。
俺、イケメンだから。女が寄って来るんだよ」

わりとイケメンだが。
黙っていたって女は寄っては来ない。
そこそこイケメンの旬が、女にいたれりつくせりするから。女はクラっとなる。

女を惚れさせたら、あとは旬のペースだ。
そうやって、ＯＬさんたちから金を引き出しては、ギャンブルに使っている。

他の女は金目当て。
好きなのはあゆだけ、と旬は言うが。
あゆは薄々わかっている。
あゆはいつでもセックス出来る女というくくりなんじゃないかと。

だから、旬とは別れて、進一と付き合おうと思った。
そして、今日、決別しようと思い、旬に会った。
別れるなら、別れると言って、けじめをつけたかった。
けじめが大事と言ったのは進一だった。

駅のコンコースで会って、別れだけを告げた。
そしたら、旬は追って来た。
結局、自分は逃げられないのか。
進一、ごめん。
あゆは心でつぶやいた。

川のほとりのラブホテルに入った。
旬がベッドに寝て、下着になったあゆが旬の顔にまたがった。
旬は執拗にあゆの股間に舌を這わせた。
やっぱり……。
あゆはとろけそうになっていた。
私は旬とは別れられない。

★

★★

身体の中が熱かった。
家に帰りたくなかった。
あゆは知らないバーに行って一人で飲んだ。

旬といれば不幸になるのはわかっている。
でもセックスの1時間は幸福でいられる。

旬はセックスが終わると、そそくさと帰って行った。
「終電」と言っていたが、まだ11時前だったし、駅のほうでない道を走り去った。
どこに行ったんだろう。

進一からメールがあった。
進一とはまだセックスしていない。
進一といると、多分出世はしないから、結婚してもいい暮らしは出来ないかもしれないけれど、あゆは仕事が続けられるし、それはそれでいい。

進一は優しいから、進一を好きだが、愛しているのかと聞かれるとどうか。
愛せるのか？　

今まであゆは、進一に土下座をさせて、足を、いや、靴を舐めさせたりしてきたんだ。
それが出来たのは、進一を男ではない、ただのおっさんだと思っていたからだ。
いや、会社にバイトで来ているおっさん、いい年齢して、バイトでしか働けない駄目人間だから。
いたぶってもいいと、最初は思っていた。

男じゃない、いや、人間として一段下だと思っていた進一が優しい人で、仕事もちゃんと出来、そしてもしかしたら正社員になるかもしれなくて。
一段下ではなくなる。

でも昨日までは靴舐め奴隷だった。
靴舐め奴隷を格上げしても、恋人、ゆくゆくは夫になんか出来るのか。

★★★

「なんかお困りごとでも」
声を掛けたのはバーテンだった。
「あっ、いいえ。ウィスキーにしようかカクテルにしようか迷っていて」
あゆは言った。
バーテンは笑いながら、カクテルのメニューをあゆの前に出した。

三杯目のカクテルを飲む頃には、あゆはやたらと饒舌になっていた。
「二人の男の間で迷っている」
なんていう話までしていた。

「贅沢な悩みだね」
マスターは言った。
「何が贅沢なの？」
「一人の彼氏も出来ないで悩んでいる女性のほうが多いんだぜ」
「だよね」
あゆはため息をついた。

「そんなに悩むことじゃないぜ」
マスターは言った。
「自分の思う通りにすればいい」
「思う通り？」

「どっちの彼氏にするか。
どっちとも付き合わないって選択肢もあるよ。
別の誰かと付き合うのは？」

「そんな……」
「たとえば、僕とはどう？」
「えっ？　マスターと？」
「もうお客さんいないし。店閉めちゃおうかな」
マスターは看板を仕舞いに行った。
えー、それって？

「バックヤードに簡易ベッドもあるんだぜ」
マスターが言った。
終電が行ったあと、ここに寝ることも多いんだそうだ。

マスターは30前後、痩せているが、目つきの鋭い、おそらくちょっとヤバ目の人かもしれない。
「あゆの彼氏よりはちょっとだけワイルドだと思う」
バックヤードに入るなり、濃厚に唇を奪われた。

マスターのキスは旬のよりも激しく、からませた舌があゆの舌の表をすべらせて、体の芯を刺激した。
と、とろける。
そのままあゆは地面に崩れた。

マスターはあゆのスカートの中に手を伸ばし、次に顔をスカートの中に入れ、さっきの濃厚なキスをした舌をあゆの股間に伸ばした。
そのままあゆはマスターの舌だけで何度も逝かされた。

旬の巧みだと思ったテクニックが稚拙に感じられた。
世の中、上には上がいる。

「今度は私がマスターを責めたい」
あゆが精一杯言った。
このままマスターに屈服するのが嫌だった。

「いいよ」
マスターはあゆを簡易ベッドに座らせた。
そして、服を脱いだ。
えっ！
上半身を脱いだマスターの乳首にはピアスがつけられていて、ピアスには鎖がつけられていた。

「僕を責めたいなんて言ったんだからね。思いっきり責めてよ」
「えーっ、マスターって」
「僕はね、どんな女性の要求にも答えられるのさ」
「どんな女性の？」

「僕とセックスする女性の中には、サディストの女性もいてね。滅茶苦茶責められるけれど、でも、僕は彼女たちを心の底から喜ばすことが出来るのさ。
あゆちゃんが僕を責めたいと言うなら、責める喜びを教えてあげるよ。
ホントの喜びをね」
「……」

「だけど、あゆちゃんはもう一人の彼氏に教えてもらったほうがいいね」
「えっ？」
あゆは進一とＳＭっぽい関係にあるという話はしていなかった。
「だいたいわかるよ。
彼がどんな奴はわからないけれどね」

うんと年上の彼とだけ言った。
「うんと年上があゆちゃんのことを好きになったら、それこそ平身低頭で口説いたと思う。
だから、ちょっといたずらで、奴隷扱いしていたら、その彼のことが本気で好きになっちゃった、そうじゃないの？」

このマスターは何者なんだ。
どうしてなんでもわかるんだ。

「とりあえず、二人と付き合えばいいよ。
急ぐことはない。結論はおのずと出ると思う」
マスターは言うと服を着た。

「お代は6000円。カクテル一杯2000円だから」
そう言って、マスターは笑った。

★★★★

店を出た。
夜中の２時だった。
どうしよう。
始発までは２時間以上ある。
旬に迎えに来てもらおうか。
それとも……。
あゆは旬にメールを打ち掛けたが止めた。

そこへタクシーが来たので、迷わず止めた。
住所は聞いていた。
突然行ったらどんな顔をするか。
でも今、進一の顔がたまらなく見たかった。

アパートのドアを叩いた。
進一が出て来た。
あゆは進一に抱きついて、唇を重ねた。
どうしたんだ？　
進一は思った。

ついこの間まで、あゆの靴を舐めていた口だが、構わずあゆはむしゃぶりついた。
「今日泊まっていい？」
あゆは言った。
泊まるったって、３時過ぎている。

「汚いけれど」
進一は言った。
「あっ、エッチはまだなしでもいい？」
もうすぐ始発も動くし。
そんな急いでセックスは、進一もしたくはなかった。

「お茶とコーヒー、どっちがいい？　
それともビールかなぁ」
進一が言った。
「コーヒーがいい」
貧乏でも、ドリップのコーヒーを飲んでいた。
湯を沸かし、コーヒーを入れた。

「あのね」
あゆは言った。
「元彼とは別れた」
「そう」
進一は言った。

「嬉しくないの？」
あゆが言った。
「俺は嬉しいけれど、あゆちゃんには辛いことだと思うから。
ホントは万歳したいけれど、我慢している」
そう進一が言ったら、あゆはクスッと笑った。

「万歳は我慢出来ても、我慢出来ないものもあるでしょう」
あゆが言った。
「大丈夫。我慢する」
進一が言った。
「我慢、しなくていい」
「コーヒー入ったから」
「じゃ、コーヒー飲み終わるまで、我慢して」

進一の部屋は六畳一間。
ベッドと洋服箪笥、小さな本棚、テレビがあるくらいの部屋。
本棚に好きな映画のＤＶＤが何本かあった。

「見ていい？」
あゆが言った。
何年前かに上映されたアクション映画のＤＶＤをあゆは取り出して、流した。
そして食い入るように見始めた。

「高校三年の時、見た。
大学受験で映画なんか見ている場合じゃなかったけれど、どうしても見たかったんだ」
あゆが見ながら言った。

「俺はなんとなく見て。
すげえ面白かったから。
衝動的にＤＶＤ買った」
「私の好きなものを進一も好きだったなんて。
やっぱり、何か通じるところがあったんだ」
進一は何も言わなかった。

ＤＶＤが終わる頃、夜が明けた。
「今日はありがとう。帰るね」
あゆが言った。
「うん」
「告白してくれたら、ゆっくり遊びに来る」
「うん」
告白出来るのか。不安ではあった。

「ちょっと寝て」
あゆが言った。
進一は床に横になった。
「うふふふ」
あゆは笑うと、
「今日のお礼だよ」
そう言って、進一の股間を軽く足で踏んだ。

「告白して恋人になったら、おちんちん踏んだりは出来ないからね」
告白したら、おちんちんを踏まれることはないのか。
それはそれで寂しい気もした。
　　　　　　　　　　　　

７⇒

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