塞翁が馬

作・たぬべえ

４

進一は美女４人の前に土下座してお礼を言った。 そこへ。 真由美が言って来た。 「お楽しみのところ悪いんだけど」 真由美が新しい仕事の段取りをはじめた。 「中山君、あなたはもう帰っていいわ。 ここまでなのよ」 真由美は力なく言った。 真由美としても進一の残留に全力を尽くしてくれた。 しかし、力及ばなかったのだ。 人事の決定は覆せなかった。 「はい。わかっています」 進一はあきらめて部屋をあとにした。 エレベーターの中で、涙がこみ上げた。 「人間万事馬か」 進一はつぶやいた。 そう言えば、誰かの馬になって床を這いまわることはなかった。 それが残念なような気もした。 一週間が過ぎた。 派遣会社からは何も言って来ない。 新しい仕事は決まらない。 家にいても仕方がない。 進一はハローワークに行き職を探し、求人誌を見てバイトを探した。 いくつか面接も受けた。 ある会社の面接のあと、夕方になっていたので、近くの定食屋で飯を食った。 店を出ると、 「中山君じゃないの」 呼び止めたのは、なんと間真由美だった。

★

「あっ、主任……、じゃないや、間さん」 「こんなところで何してるの？」 「就活の帰りですよ」 「まぁ、いいわ。ちょっと一杯付き合いなさいよ」 「はぁ」 言われるままに、進一は真由美とバーに行った。 「今回のことは私の力不足。ごめんなさい」 真由美はバーのカウンターで頭を下げた。 「冗談じゃないですよ。 頭なんか下げないでください。 主任にも、皆さんにもホントによくしていただいて。感謝してます」 「なんかさ、大塩と南は私があなたを辞めさせたみいに言うのよ。 梅田はわかってくれているみたいだけれど」 「そうですか」 神林あゆの名前がなかったのがちょっと気になった。 あゆは進一が辞めたことをどう思ってるんだろう。 「ふふふふふ」 真由美が進一に微笑み掛けた。 年上だが、美人の真由美と二人きりで酒を飲んでいる。 かなりドキドキした。 こんなことはこの先もうないかもしれない。 「今日は中山君に会えるなんて、私、ついてるかもね」 真由美は言った。 「男性目線って大事なのよ。 女ばかりの職場でしょう。 女子高生みたいなノリになっちゃうわけ。 どんな男でも男性目線があると緊張感があるのよ。 だから助かっていた」 「どんな男でも……ですか」 「あっ、ごめん。つい、本音言っちゃった」 真由美が舌を出した。 カワイイ。 「確かに、俺じゃ、男らしい男ってわけじゃないですからね。 少なくとも恋人の対象にはなりませんよ」 恋人の対象にはならない。 進一はまたあゆのことを思い出していた。 最後まで、進一はあゆの靴舐め奴隷でしかなかった。 果たしてそうなのか。 「そんなことないよ」 真由美が言った。 「梅田なんか、夫がいなかったら、中山君と付き合いたいって言ってたよ」 冗談だとわかっていても、進一には自信になった。 「主任……、いえ、間さんは？」 進一は思い切って聞いてみた。 「独身ですよね」 「独身だよ。だけど立場もあるし、うんと年上だし。 自制心で押さえた」 「なるほど。年上だけれど、今はもう立場は関係ありませんよね」 進一は何故か押してみた。 「私を口説くんだ。 だったら、今日のお勘定、中山君の奢りでいい？」 見事な逃げを打たれた。 「ごめんなさい」 進一は謝った。 「ぶはははは」 真由美は笑った。 「間さん」 「真由美でいいよ」 「真由美」 「呼び捨てかよ」 「真由美様」 「ぶはははは」 また、真由美は爆笑した。 「人間万事馬って知ってますか」 話題を変えようと、進一は「人間万事馬」の話をすることにした。 「人間万事塞翁が馬でしょう」 勿論、真由美も諺は知っていた。 「いや、前の会社をリストラになった時に上司が……」 「嘘」 進一の話に真由美は笑った。 「でもね、人間万事馬だから。 そんな風に言われたら忘れないじゃないですか。 実際にね、真由美さんたちと仕事が出来て楽しい一年を過せて、悪いあとにいいこともあったし、今度契約は打ち切られたけれど、次にいいこともあるって信じているんです。 で、今日、真由美さんと会えて」 「私じゃ仕事の世話は出来ないけどね」 「仕事じゃなくて。その……」 「中山君……」 「進一でいいです」 「進一さん」 「呼び捨てでいいです」 「恋人でもない男を呼び捨てには出来ないよ」 「やはり僕じゃ恋人は無理ですよね」 「だから、恋人だったら、ここの勘定……」 真由美が言い掛けたところで、進一は涙がこみあげて来た。 真由美が冗談で言っているのはわかっているのだ。 わかっているのだけれど。 まともな仕事に就けず、素敵な女性と一緒に酒を飲んでも奢ってもらうだけの情けない男。 そうなのだ。 進一は情けない男で、この先も誰も進一の恋人になる女性など現われない。 真由美もあゆも、松子も初美も小百合も、進一に好意は持っていた。 でも恋愛には発展しない。 あゆはもしかしたら、進一が一押ししたら、彼氏と別れて進一と付き合ったかもしれない。 でも進一に一押しが出来なかった。 仕事がない男は女に一押しすら出来ない。 「ちょっと、こんなところで泣かないでよ」 流石に真由美は少しあわてていた。 「ご、ごめんなさい」 謝ると余計に涙がこぼれた。 「ちょっと、どっか行こうか」 真由美にそくされて、進一は店を出た。 しばらく歩くとラブホテルの看板が目に飛び込んだ。

★★

「どうしたのよ、急に泣き出して」 ベッドに腰をおろして真由美が言った。 「俺は、駄目な男です」 進一は思わず真由美の足元で号泣した。 「進一……」 真由美がベッドの上で足を組み替えた。 「人間万事馬なんじゃないの？」 そうだ。 「人間万事馬」のはずじゃないか。 だが、まったく先の見えない進一には、諺すら空しく響いた。 「すみません」 進一が言った。 そうだよ。 そんなこと真由美に愚痴をこぼしてもどうなることでもないんだ。 自分が頑張るしかないんだ。 「恋人にはなってあげられないけれど」 真由美が言った。 「なんでも好きなことをしてあげるよ」 真由美さん、そんなこと言っていいの。 進一が顔を上げると、真由美は服を脱ぎはじめていた。 ここはラブホテルだ。 真由美が選んでここに来た。 恋人にはなれない。 だけれど、男としての欲望を果たせば、俺はもしかしたら立ち直れるかもしれない。 進一も服を脱いだ。 ズボンとパンツを一気に脱いだ。 「何あせってるのよ」 真由美が笑った。 真由美も下着姿になっていた。 進一が真由美に覆いかぶさろうとした時、真由美が手で制した。 「男と女は礼にはじまり礼に終わる、よ」 それは小百合が言った言葉だ。 いや、小百合は 「恋愛は礼にはじまり」 と言ったんだ。 「人間万事馬」みたいに間違っているわけではないから、いいか。 「はい」 進一は返事をすると、真由美の足元に跪いて、頭を下げた。 「いいわよ。まずは足を舐めて」 真由美が進一の前に足を突き出した。 結局何をやっても駄目だ。 と進一は思った。 あのあと、真由美は進一のペニスを素足で踏んだ。 踏みつけるのではない。 足で優しく愛撫した。 ２分で進一は発射してしまった。 「もう逝っちゃったの」 真由美は笑った。 「面目ない」 進一はうなだれた。 「じゃ、今日はこれでおしまい。 楽しかったよ」 最後の「楽しかったよ」がせめてもの救いか。 足で逝かされた。 しかもたった２分。 情けなさ過ぎる。 いや、情けないとかの問題でなく、もう少しなんかしたかった。 できれば、オッパイ触りたかった……。

★★★

呆然としながら電車に乗った。 何気にメールをチェックした。 「えっ！」 なんと、一週間前に面接を受けたメンテナンスの会社からだ。 「採用」と書かれてあった。 採用ってことは……、サラリーマンになれるってことか。 「人間万事馬」 真由美に会えてホテルに行って有頂天、 しかし、足で逝かされて、気持ちはよかったけれど、情けなかった。 そしたら、メンテナンス会社から採用の知らせ。 いいあとは悪く、悪いあとはいい。 いや、このメールはホテルに行く前に来ていた。 もしかしたら、また、いいこともあるのか。 ピロリン。 メールの着信音。 見たら、真由美からのメールだった。 「今日は残念だったけど、また会いたい。明日の昼間会えませんか」 どういうことだ。 あきれて、見捨てられたんじゃないのか！　 でも、いいあとは悪いんだ。 会ったら、なんか悪いことが起こるのか。 でも、また真由美が会ってくれるんなら。何が起こってもいい。

★★★★

次の日の昼、何度かお昼をご馳走になったイタリアンレストランに行った。 「お願いがある」食事のあと、真由美が口を開いた。 「絶対秘密厳守、大丈夫？」 「約束しますよ」 「ホントに」 「もしも僕がその秘密を誰かに喋ったら、昨日の失態を皆に話してください」 「あははは」 真由美は笑った。 「そんなこととはレベルの違う秘密なの」 いや、足で２分で逝かされたなんて話は絶対誰にも、とくにあゆたち、元の職場のスタッフには話して欲しくはないんだけれど。 「ちょっと二人きりで話せるところで」 と言われ、真由美は進一をカラオケボックスに連れて行った。 「枕営業！」 「声が大きい」 カラオケボックスは密室ではない。 まぁ、隣の歌に聞き耳を立てる人もいないが。 昼カラオケのおばちゃんたちの爆笑が聞こえている。 「ど、どういうことです」進一は小声で聞いた。 「絶対に秘密厳守よ」 真由美はもう一回ネンを押した。 日本を代表するファッションデザイナー秋野紅葉（男）とライセンス契約を結びたいと会社は考えた。 というのも真由美は紅葉をよく知っていた。 「昔いろいろあったのよ」 「昔……」 「でね、一回やらせてくれたら、ライセンス契約をしてもいいって言ってきたの」 会社には話はしていない。 話したらなんと言うか。 真由美の上司の顔が浮かんだ。 ライセンス契約が結べたら、億の利益がもたらされる。 あの上司なら「寝ろ」と言うだろう。 「会社には言ってないからね。 紅葉とライセンス契約が結べたら、私の手柄になる」 「おめでとうございます、って言っていいのか。 でも、昇進間違いなしですね」 「そう。 多分、部長くらいにしてくれると思う」 「それが僕に何か？」 「そうなったら、進一君を正社員で雇うよう、会社に交渉しようと思っている」 「ありがとうございます、でも……」 進一の頭から、「採用」通知が来たメンテナンス会社の件が消えた。 「考え違いしないで。 同情とかじゃないし。 ましてや、君に恋愛感情は一切抱いてないし」 まぁ、そうだろうけれど。 「君が役に立つから。 私たちの会社に必要だから。 それに、今度の枕営業は君にやってもらうから」 まさか、秋野紅葉は実はホモで、進一に寝ろと言うのか。 そ、それは……。 でもあの職場に、しかも社員として戻れるなら。 「僕は何をすれば」 「私たちがセックスするところを見てて欲しい。 紅葉は人に見られないと勃起しないのよ」 まさに「人間万事塞翁が馬だ」。 何があるかはわからない。 とりあえず、メンテナンス会社には断わりの連絡を入れた。

５⇒

back to 「塞翁が馬」目次

back to 「他力本願」目次

back to MAIN MENU(Nihongo)

back to MAIN MENU(English)