重い女

作・たぬべえ

１

山岸亮と篠原美沙が偶然再会したのは三年ぶりだった。 「もし時間あったら酒でも飲まない」 亮はそう言うだけで精一杯だった。 いまの自分は暢気に酒なんか飲んでいる身分ではないことも承知だ。 だけど、いま誘わなければ、もう二度と美沙と話をする機会がないような気がした。 憎みあって別れたわけじゃなかった。 亮の転勤が決まった。 それを機に、亮はプロポーズをするつもりだった。 だが同じ頃、美沙も重要なプロジェクトを任されていた。 とりあえずお互い仕事を頑張ろう。 縁があればまた逢えるかもしれない。 そう言って二人は別れた。 亮は地方の支社に転勤した。 業績悪化の支社の建て直しに、それこそ死にもの狂いで奔走した。 ようやく支社が持ち直した頃に、会社のトップが代わり、支社は撤退ということに決まった。 亮たちの二年余りの努力は水泡に帰した。 本社に戻った亮は、支社再建失敗の責任を取らされて閑職に追われた。 減俸になり、仕事らしい仕事も与えられていない。 いまではいつリストラになるかと怯えながら毎日を送っている。 一方の美沙は輝いていた。 身につけているアクセサリーやバッグが三年前とは違った。 「ごめん。これから打ち合わせなんだ」 やっぱり……。 いまさら俺なんかと飲む時間はないか。 亮は少し卑屈になっていた。 「でも、一時間で済むから。 よかったら、Wで待っていてくれない」 Wは付き合っている頃によく行ったバーだ。 亮はカウンターに座って水割りを舐めながら待った。 亮はちょっとだけ美沙を誘ったことを後悔した。 いまの亮にとって一週間分の昼食代が今日の飲み代で飛ぶからだ。 「ごめん、遅くなって」 二時間後に美沙が駆け込んで来た。 あと五分待って美沙が来なかったら帰ろうかと思っていた。 昔はデートに遅れる美沙を待つことは少しも苦ではなかった。 遅れても美沙は必ず来て優しい笑顔をむけてくれたからだ。 今日は違った。 今の二人の境遇はあまりにも違い過ぎた。 暇をもてあました男と、忙しく飛びまわっている女。 「活躍のようだね」 「おかげ様で」 美沙は笑顔で答えた。 おかげ様だよな。 もしもあの時、プロポーズして、もし美沙がOKしていたら。 いまの美沙はなかった。 リストラ寸前の男の妻で、恐々とした日を過ごしていたはずだ。 亮と別れ、美沙は仕事に打ち込んだ。 もともと実力はあった。 チャンスを活かした。 Ａ社第二営業部長。 もらった美沙の名刺の肩書きが輝いて見えた。 「ねえ、リストラになったら、うちに来ない」 美沙が言った。 「ただし、一番下っ端で雑巾掛けからやってもらうけど」 雑巾掛けか。 いまの会社で、亮は雑巾掛けすらやらしてはもらえない。 「ホントにクビになったら、お願いします」 まさかホントに、昔の恋人の部下で働く気はない。 亮にもプライドはあった。 「運不運はあるよ。 大丈夫。 あなたならまたやれるって」 根拠のない励ましだが、いま、成功している美沙からの言葉は力強かった。 「ここは僕が」 伝票を持って立とうとした美沙を亮が制した。 精一杯の見栄だった。 スーパーで作ったクレジットカードでなんとか支払いを済ませた。 Wを出たところで、自然な形で手を繋いだ。 Wで飲んだあと、何度か入ったことがある裏通りのラブホテルに自然と足が向いた。 二人は憎みあって別れたわけでもない。 縁があったら、また逢えるよと言って別れたんだ。 だが縁があるのか。 女性営業部長と、なんの役職もない閑職の男だ。 男と女に社会的地位なんて関係ないとは言っても、男の亮からしてみれば、引け目以外の何ものもない。 先に美沙がシャワーを浴び、バスタオルを体に巻いただけの姿で現われた。 「そうだよ。 男と女だ。 裸になれば、ただの男と女じゃないか」 亮は無理矢理そう思うことにし、自分もシャワーを浴びた。 シャワーを浴びながら、横目で見た美沙のバスタオルだけの姿を思い出して激しく欲情している自分に驚いた。 そうか。 日々の暮らしに忙殺されていた亮にとっては、三年ぶりのセックスだった。 亮はバスタオルを腰に巻いた姿で部屋へ行くと、部屋にある藤椅子に座って足を組んでいた美沙がクスッと笑った。 「何がおかしい」 「だって」 美沙の視線は亮の股間にそそがれていた。 バスタオルがテントのようになっていた。 「いや、だって」 亮は間抜けな己の姿にあわてた。 「三年ぶりよね。 今日はゆっくり楽しみましょうよ。 昔みたいにね」 美沙は座ったままバスタオルをはずした。 綺麗な形のよい乳房が亮の目の前に現われた。 「美沙……」 美沙の裸身は神々しかった。 その前に、亮は思わず跪いた。 亮の腰からもタオルがはずれ、欲望の象徴が美沙の眼前に顕わになった。 美沙は黙って、亮の顔の前に足を突き出した。 亮は跪いたままイザリ寄り、美沙の足先に舌を這わせた。 「いやだ。 亮ったら」 美沙の甘い声が亮の頭上で響いた。 亮はもういてもたってもいられなかった。 「ちょっと亮、何してるの」 美沙は驚いた。 亮は美沙の足を舐めながら、自らの陰茎をしごいていた。 三年間ずっとこうしていたんだ。 亮は美沙を思いながら、自らの陰茎をしごいて毎日を過ごしていたんだ。 逢えた。 やっと逢えた。 恋人としてはもう駄目かもしれない。 だけど、足元に跪いて陰茎をしごくだけならいいよね。 懇願する目で見上げる亮に、美沙は優しく微笑んだような気がした。 そのまま亮は、足を舐めながら白い液を吹き上げていた。 あの日、亮は恥ずかしさから、美沙の顔もみず、一言 「ごめん」 とだけ言ってホテルを出て来てしまった。 自分の情けなさに、ただただいたたまれなかった。 深夜営業の酒屋に飛び込み安ウィスキーを買いアパートに帰って呷った。 何もかもが終わりだ。 亮はしたたかに酔った。 翌日、二日酔いでふらふらになりながらも会社に行った。 どうせ行ったってたいした仕事はない。 コーヒーをカブカブ飲みながら、マーケティングの資料を黙々とパソコンに打ち込んでいた。 ようやく酔いも醒めた午後、部長に呼ばれた。 「少しはやる気はあるか」 「はぁ」 「なんだその気の抜けた返事は」 「すみません」 「まぁ、いい。少しでもやる気があるなら、これを読んでおけ」。 渡されたのは新商品の資料だった。 新商品のアンテナショップを作るから、そこの店長をやれ。 これが部長からの命令だった。 出発点に戻るのか。 亮は思った。 新入社員で研修を終えた最初の仕事が、実はアンテナショップの店長だった。 会社は商社である。 営業は販売会社相手で一般の消費者ではないが、新商品に関してだけは、その動向を追うためアンテナショップを開く。 あくまでも調査と宣伝だから、利益を上げるとかの必要もない。 誰でも出来る仕事といっては語弊があるが、まぁ、他の業務に比べれば楽な仕事だが、一応店長なので責任もある。 試練になるから、エリート候補の新人が就かされる。 亮は新人でその役を務め、人事や商品管理の能力が認められて営業の第一線に出ていき、一時はエリートコースに乗った。 そこへ戻るのか。 今の亮にはそれも一つの道かと思った。 むしろやり直すチャンスを会社がくれたのかもしれない。 「やり直せるかもしれない」。 亮は未練がましいとも思ったが、美沙にメールした。 笑顔の絵文字のメールが返信されてきた。 怒ってるんだろうか。 バカにしてるのか。 でも無視されなかっただけでもよかったのかもしれない。 大学生のアルバイトを10人雇って、店にいる正社員は亮と、新人で副店長の望月の二人だけだった。 バイトの面接から亮が自ら行った。 なるべく、男子はイケメン、女子もカワイイ娘を選んだ。 ＰＲの風船配りの仕事もある。 だから、見た目が重要なのだ。 亮は自らが店頭に立ち、一日忙しく接客し、連日残業してバイトのシフトをやりくりし、実績の報告書を作った。 充実した日が続き、少しづつ自信を取り戻しつつあった。 バイトの女子大生の一人、大島絵里はＧ大文学部の三年で、栗色に染めた長い髪が魅力で、スリムだが巨乳、整った顔立ちの中にも目力のある女だった。 店長に赴任して一月経ったある日、亮が帰ろうとすると、通用口に絵里がいた。

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