日本の流儀

作・たぬべえ

人生には勝負に出なきゃいけない時というのがある。 青木直哉はその時、思った。 新しく秘書課に来た通訳のエレーナ・ロビンソンに一目惚れをしてしまったのだ。 しかし勝負に出ると行っても、エレーナは重役専用の通訳だ。営業部のヒラの直哉とは同じ会社というだけでなんの接点もなかった。 いや、接点はなくはない、毎朝、出勤時に同じエレベーターに乗るんだ。 社員食堂で見掛けたこともある。 諦めちゃ駄目だ。 なんか接点は見付かるはずだ。 まずは情報収集からはじめよう。 営業だってそうだ。 情報収集で相手のニーズを調べて営業戦略を立てる。 それは常識だ。 直哉はまず秘書課で同期の村上三郎を飲みに誘った。 「なんだよ、お前が飲もうだなんて。 なんか魂胆があるのか」 ここはストレートで行こうじゃないか。 直哉はエレーナの情報を教えて欲しいと頭を下げた。 村上は笑った。 「それ、お前で三人目なんだけれど」 ヤバイ。 少なくともライバルが二人はいるということだ。 しかもライバルは、営業部長の武田道行と、庶務課長の浅野毅の二人だという。 武田は37歳の独身で、外資企業からヘッドハンティングで来た男だ。 重要な取引先とのパイプラインを持っていて、破格の年収をもらっているらしい。 そして、浅野は41歳独身、一見さえない風貌だが、なんと創業者一族の三男坊。 対して直哉は31歳だが、いまだに営業部のヒラだ。 同期はなんらかの役付きになっているのに、大きな実績を上げてはいない。 まぁ、会社というところは誰もがエースである必要はなく、そういう人たちのサポートをする人間がいて成り立っているもんだ。 まさに直哉はサポート役に徹してきたのだ。 だから営業部の中での信頼は大きい。 ライバルの出現は大きいが、だからと言って負けてはられない。 情報収集だ。 村上から聞いたエレーナ情報、28歳で、アメリカシカゴ出身。 何故日本に来たのかは、「侍に憧れて」。 なんだそりゃ？　 待てよ。 勝ち目がないと思われた勝負に、わずかだが勝ち目が出て来たぞ。 直哉は小学校、中学校と剣道をやっていて初段の腕前だった。 高校に鉄道研究会があったので、剣道部に入らず鉄研に入り剣道は辞めたが、何、むかしとったなんとやら。 剣の心得はある。 よしデートプランは決まったぞ。 その後、村上にキャバクラを奢り、エレーナへの手紙を届けた。 それはまるまる日本なデートのお誘いだった。 相撲を見て、屋形舟に乗った。 これは勝負なんだ。 金なんか惜しくはない。 貯金をはたいた。 最後に高級寿司屋へ行き、軽く日本酒を飲んだ。 まともな女ならわかるはずだ。 一介のサラリーマンが今日のデートにどれだけ勝負を掛けたのか。 「リバーサイドのホテルがとってあります。 僕の誠意が感じられたら、来ていただけますか」 直哉はエレーナの目を見つめて言った。 「あなたが武士としてふるまうのなら、私はすべてを捧げてもいいわ」 エレーナは言った。 勝った！　直哉は思った。 ホテルの部屋に行った。 直哉は優しくエレーナに唇を重ねようとした。 バシッ。 エレーナから平手打ちが飛んだ。 「武士としてふるまってと言ったでしょう。 それが武士が姫に対する態度なの？」 姫？　何か勘違いしてるぞ。この女……。 そう思った時はもう遅かった。 「武士としてふるまわないのなら、私、帰るわ」 「わかりました。 武士はどうすればいいんですか」 「褌一つになって土下座しなさい」 えーっ！！何それ。絶対勘違いしている。 でも、ここまでやってエレーナに帰られては、貯金をはたいた俺はどうなる。 土下座で勝てれば安いものだ。 「わかりました。 土下座でもなんでいたします。 だから、姫様、哀れな私にお情けをお掛けください」 直哉はブリーフ一枚になって、跪いた。 「あなた、なんですか、そのパンツは。 武士のくせに褌ではないのね」 そんな……。 今時、褌なんてしてるのは力士くらいだよ。 でも、エリーナは直哉の褌姿を想像していたようで、落胆の表情を見せた。 「そんなみっともないパンツ、脱いでしまいなさい」 トホホホホ。 直哉は理想の恋人となるはずの女性の前でパンツを脱いで全裸になった。 手でチンコを隠し、見られないように跪き、床に両手をついて頭を下げた。 「姫様、どうかどうかお情けを」 人生はじめての土下座が勘違い外国人女性にだった。 あー、情けない。 「もう三年くらい修行して、武士らしく振舞えるようになったら、またデートしてあげてもいいわ」 そう言うとエレーナは部屋から出て行った。 えー、そんな……。 大金を使い、全裸土下座までしたのに。 直哉の恋ははかなく消えた。 　　　　　　　　　　◆ エレーナ・ロビンソンは日本に興味を持ち、日本企業で通訳として働いた。 日本で三年ほど暮らしたが、現代の日本は、エレーナの思っていた古きよき日本ではなかった。 武士もいなかった。 竹林もなかった。 幽霊も出ない。 それでもエレーナは茶道をやり、歌舞伎や能や落語を見たり、たまに京都へ行ったりして日本を楽しんだ。 その間、エレーナは三人の男から求愛された。 最初は会社の別の部署の青木直哉だ。 直哉は相撲と屋形舟と寿司のデートに連れて行ってくれた。 運命の男かもと思いホテルに行ったら、直哉はブリーフを穿いていた、日本人なら褌でなけば駄目だ！ 「そんなの脱いで姫に土下座しなさい」 エレーナが言ったら、直哉はあわててブリーフを脱いで土下座した。 そのあまりにも情けない姿に百年の恋も冷めた。 エレーナは部屋を出て行った。 次はエリート社員の武田道行だ。 道行は英語で口説いてきたが、どこで習った英語だろう。 おかしな訛りがあった。 武田はいつも紳士で、決して悪くはなかった。 わざわざ日本を意識したデートに連れて行ってくれるわけではないが、それでもたまに浅草など日本を感じさせる場所を案内し、日本に関する質問にも詳しく答えてくれた。 ただしあの訛る英語で。 仕事上は意味が通じればいいのだが、デートとなると訛りが折角のムードを台無しにした。 ある日、エレーナは、 「私、日本語、出来ます。 あなたも日本語で喋って」と言った。 あんたの英語は下手だ、と遠まわしに言ったみたいになり、少し道行を傷つけたのかと思った。 半年が過ぎた。 道行とももう一歩進展してもいいのかと思った。 一方、会社でもＯＬたちの友達も出来、いろんな情報が入るようになった。 「エレーナ、こんなこと言ってヤキモチみたいに思われるかもしれないけれど、武田部長、フィリピン人の愛人がいるみたいよ」 あーっ、あの英語の訛りは彼女の影響かぁ。 すべての糸が繋がった。 そのことを言ったら、道行は駐車場で土下座して謝った。 「前にデートした青木さんは素っ裸で土下座しましたよ」 エレーナは悪戯っぽく言った。 「なんでもする。 女とも別れるから」 道行は駐車場なのを忘れて服を脱ぎはじめ、ブリーフ一枚で土下座した。 エレーナは裸の道行を置き去りにし、その場を去った。 一年くらいして付き合ったのが、社長の御曹司、浅野毅だ、毅はいわゆる趣味人で美術などの芸術に詳しく、デートも知的で楽しかった。 浮世絵の知識も豊富で、エレーナは毅から多くを学んだ。 そして半年過ぎ、毅の持っている山の別荘のパーティに呼ばれた。 毅からはパーティに着てくるようにと友禅の着物をプレゼントされた。 今度こそ、運命の男だと思った。 唖然とした。 パーティはＳＭパーティで、何人かの美女がすでに裸にされて麻縄で縛られたり、天井に吊るされたりしていた。 「これが上流階級の趣味の世界さ。 さぁ、君も早く着物を脱ぎなさい」 毅は言った。 エレーナの強烈なビンタが毅の頬に炸裂した。 「そうか。 君はそっちの趣味か。 わかった。僕は何にでも対応出来るんだ」 毅は言うと、素っ裸になりエレーナの前に土下座した。 「エレーナ女王様、僕を奴隷にしてください」 エレーナは踵を返して、山の別荘をあとにした。 日本は好きだが、日本人の男はまともじゃないと思った。 エレーナはアメリカに帰り、ニューヨークの日本企業に再就職した。 そして、ある日、地下鉄で昔の友達のジョージとばったり会い、付き合うようになった。 そして、エレーナのアパートで同居した。 ある日、 「日本で君は随分モテたんだろう」 とジョージが言った。 エレーナは青木、武田、浅野の三人の話をかいつまんで話した。 リサーチ男の失敗譚、浮気者のエリート、ＳＭ趣味の金持ち、どれもが笑いを誘った。 「で、なんだい、最後の全裸で土下座して謝ったというのは」 「日本人はそれを潔しと思っているらしい」 「そうなのか」 「跪いて、両手を床について、頭を下げるのよ」 「こうか」 ジョンはふざけて、エレーナの前に土下座した。 「そうそう。うまいうまい」 「これだと、エレーナが姫で、僕が家来になった気分だよ」 「じゃ、たまにはジョージ、家来になってくれない？」 「いいよ。 僕はいつでも君の家来さ」 「じゃ、裸になって土下座してみて」 「いいよ」 ジョージはブリーフ一枚になってエレーナの前に土下座した。 ジョージはアメリカ人だからブリーフでＯＫよ。 エレーナは思った。 「ジョージ、ホントに私の家来になる？」 「はい。エレーナ様」 エレーナはハイヒールのままジョージの頭を踏みつけた。 ジョージもはじめての土下座を楽しんでいるのがよくわかった。 　　　　　　　　　　◆ ミッシェル・ハミルトンが友人のエレーナ・ロビンソンのアパートを訪ねたのは、ある秋の日の午後だった。 ミッシェルとエレーナは高校時代の友達、それぞれ別々の大学に行き、大学卒業後はエレーナは日本に行き、つい先頃、アメリカに戻り日本企業のニューヨークの支社に勤務している。 ミッシェルはニューヨークの証券会社に就職し、今は投資会社を立ち上げている。 朝早くから夜遅くまで仕事一筋で、彼氏など作る暇もなく30歳を迎えていた。 二人は偶然、地下鉄で会い、お互いのアパートがすぐ近くであることを知り、 「じゃ、近いうちに会おうよ」 などと言ったが、忙しいミッシェルはすぐ近所に住む友人を訪ねる時間すらなかった。 その日の午後、ミッシェルは込み入った案件で顧客と会ったが、案外簡単に用件が片付いてしまった。 その顧客のために午後の時間を予定していたので、時間が空いてしまった。 どうしよう。 その時、ふと、エレーナのことを思い出した。 エレーナに会いに行こう。 エレーナのアパートは古風な建物だった。 手動で開けるエレベーター。 ３階に上がって、呼び鈴を鳴らした。 男性が出て来た。 「ここはエレーナの家？」 「はい。そうです」 「あなたは？」 「僕はエレーナの同居人だけど」 あー、男性と一緒に住んでいたのね。 まぁ、女30歳、男の一人くらいいてもおかしくない。 「エレーナは今、会社で、今日は６時には帰って来るよ」 男性は言った。 今は平日の昼間だ。 エレーナは会社に行っている時間じゃないか。 何やってるんだろう、私。 「わかりました。 出直してくるわ」 帰ろうとしたら、 「待って」 男性が止めた。 「もし急ぐんでなければ、上がってお茶でも飲んでいきませんか」 急ぐ用はなかったが、男性一人の部屋に上がるのはためらった。 ｢待って｣ 男性は言って、携帯電話を掛けはじめた。 エレーナに電話しているようだった。 「エレーナは仕事を切り上げて５時には戻るって。 あと、１時間半だよ。待っていてくれないか」 そう言われては待たないわけにもゆかないだろう。 なんかいきなり訪ねて来て悪い気がした。 でも、エレーナが仕事を切り上げて帰って来てくれるなら、やはり会いたかった。 昔の友達となんでもない話をしたい時もあるんだ。 リビングに通された。 広い部屋で、綺麗に片付いている。 エレーナも忙しいだろうに、掃除がゆき届いている。 あー、彼が掃除はやってくれるのね。 彼は昼間に家にいて、何をやっている人なんだろう。 もしかして、専業主夫なのかしら。 「僕は警備の仕事で、夜働いているんだ」 ミッシェルの心を読むかのように男性が言ったので、ミッシェルは驚いた。 「お待たせ」 男性がワゴンにお茶の用意をして持って来た。 細かいことに気がつく男らしい。 ミッシェルは自分にもこんな彼氏がいたらいいと思った。 お茶を飲みながら、男性といろいろ話をした。 男性は話題も豊富で話やすかった。 1時間があっという間に過ぎた。 「ねえ、エレーナの日本での話は知っている？」 男性が聞いた。 「知らないわ。 私、日本っていう国のこともよく知らないのよ」 「日本の男は面白いぜ。 エレーナは日本で三人の男から求愛されたって言っていた」 日本にいた時の男の話を今の彼氏にしたのか。 まぁ、日本人なんて、男だとは思っていないのか。 「日本の男の求愛のやり方を知っているかい」 男性が聞いた。 「知らないわ」 「教えてあげるよ。 日本の男はね、好きな女の前に素っ裸になって土下座するんだそうだ」 「何？　素っ裸で土下座って？」 「面白いよ。やってみせるよ」 言うと、男性はいきなり服を脱ぎだした。 「ちょっと、あなた、何するのよ」 ミッシェルの言うのも聞かず、男はパンツも脱いでしまった。 嫌だ。ちょっと。 でも、この人、結構でかい。 ちょっとエレーナが羨ましかった。 男性は素っ裸になると、床に跪き、両手をついて頭を下げた。 「嫌だ、なんか求愛と言うより、服従ね」 「そうさ。 僕も日本人を真似て、エレーナには絶対服従を誓ったんだ」 「エレーナに服従を誓った癖に、私にも服従していいの？」 ミッシェルが言うと、男性はミッシェルの靴にキスした。 「そろそろ僕は、新しい女主人が欲しいんだ」 男性は言った。 そして、自分は家事一切も得意だと言った。 「エレーナが帰って来ると言ったのは嘘さ。 彼女はいつも帰宅が遅いんだ。 僕とはすれ違いで。 服従は誓ったけれど、彼氏としてで、家政婦に雇われているわけじゃないからね。 どうだい、ミッシェル、君の彼氏にしてくれないか」 友達の彼を取るような真似はしたくはないので、丁寧にお断りした。 彼は残念そうだったが紳士で、すぐに服を着た。 でも男性が素っ裸で土下座してくれたのは、ちょっと気分がよかった。 ミッシェルは、エレーナと日本の女性が羨ましかった。

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