ハイヒール

作・たぬべえ

ドジを踏んだ。 いや、踏んだのはドジではない。 犬糞だ。 白河玲奈はＳ女子大の２年生。 今日は夕方、本命の彼氏、Ｘ大学経済学部３年の三島卓とのデートがある。 だから、二週間前の玲奈の誕生日に卓が買ってくれた赤いハイヒールを履いてマンションを出た。 そのマンションの入口に、誰がしたのかしらないが（多分、犬がしたんだろうが）、犬糞があった。 そして気付かず、赤いハイヒールで思い切り踏んでしまったのだ。 やばい、どうしよう。 戻って別の靴を履くか。 だが、今日は１時間目に単位を落とせない授業がある。 戻っていたら遅刻する。 まぁ、いいや。 デートは夕方からだ。 一日歩いていれば、犬糞の臭いなど消えるに決まっている。 ズルズルズルズル、玲奈は靴底をアスファルトにこするように歩きながら駅へと向った。 授業は午前中で終わり、卓とのデートまでは時間があった。 ティシュで拭いて、犬糞はあらかた落ちたとは思うが、まだ少し玲奈は不安だった。 そこへ、以前合コンで知り合ったケンちゃんという男からメールがあった。 「たまにはデートして欲しい」という内容だった。 ケンちゃんは顔なんかは悪くはなかったのだが、玲奈にとってはイマイチな男だった。 それでもケンちゃんは付き合って欲しいと懇願した。 「私、結構Ｓなんだ。付き合うと、しんどいかもよ」 やんわりと断わるつもりで、玲奈は自分がＳだと嘘を言った。 「そうなんだ。 もしかしたら相性いいかも。 俺、実はＭなんだ」 そう言って、ケンちゃんは、玲奈の足元に土下座をした。 いまさらＳじゃないとも言えない玲奈は、とりあえずハイヒールでケンちゃんの頭を踏みつけて、その場は逃げ出した。 以来、月一くらいで会って、飯を奢らせて、ビンタをくれてやったりはしていた。 そうだ。ケンちゃんにハイヒールを掃除させよう。 玲奈は残酷なことを思いついた。 繁華街からややはずれた、川沿いの公園で玲奈とケンちゃんは会った。 「ねえ、ケンちゃん、私の奴隷になりたい？」 「勿論」 「だったら、私のハイヒールを舐めなさい」 「喜んで」 目を輝かせて跪くケンちゃん。 待ってよ。 いくらなんでも公園では人目がある。 まさかホテルには行かれない。 Ｍだなんて言っても男だ。 二人きりになったらＭ狼にならないとも限らない。 カラオケボックスに入った。 ケンちゃんはパンツ一丁になって床に正座した。 玲奈はハイヒールをケンちゃんの目の前に突き出した。 ケンちゃんは目を輝かせて、まずハイヒールの踵に舌を這わせた。 踵はいいんだよ。 靴の裏を舐めて綺麗にして欲しい。 ところが、ケンちゃんは突然舐めるのを止めた。 「玲奈さん、もしかして犬のウンコ踏んだ？」 「踏んでない踏んでない」 ケンちゃんはクンクンと鼻をならす。 「いや。 気が付いてないだけで、絶対犬のウンコ踏んでるよ」 「失礼ね。 私のハイヒールが舐められないとでも言うの？」 逆に玲奈が強気で言った。 「うん。 犬のウンコ踏んだハイヒールは無理。 病気になりたくないよ」 ケンちゃんはあっけらかんと言った。 「舐めない代わりに、チンコ踏んでよ」 さらには要求までして来た。 何よ、このエゴマゾが！　 玲奈は怒ってカラオケボックスを飛び出した。 ケンちゃんが裸でよかった。 すぐに追っては来られまい。 そのあと玲奈は夕方のデートの時間まで、ズルズルと靴底をアスファルトにこすりながら歩き回った。 卓とは高級イタリアンレストランで食事をした。 ワインも少し飲んでいい気分で酔った。 もういい加減、犬糞はアスファルトにこすりつけられて消えた頃に違いない。 イタリアンレストランを出て、港が見える公園に行った。 あたりに人はいない。 絶好のロケーションだった。 いつ唇を奪われてもいい。 玲奈は思った。 すると卓が突然、玲奈の前に跪いた。 「玲奈さん、綺麗だね」 あー、いきなり唇じゃなく、跪いて手にキスからね。 玲奈は卓の前に手を差し出した。 卓は玲奈の手を無視して、地面に両手をついた。 玲奈の足元に土下座で這い蹲るようにして、 「このハイヒール履いて来てくれたんだね。嬉しいよ」 と言うと、ハイヒールにキスをした。 あー、そ、そのハイヒールは……！！ 「玲奈さん、いや、玲奈さま。 僕の女王様。 一生奴隷にしてください」 と言った。 あらーッ。 卓もマゾなの？　 うーん、奴隷にしてあげるのはいいけど。 なんでも言うこと聞いてくれる恋人で奴隷、それはいいんだけど。 卓はうやうやしく、玲奈のハイヒールを手で持ち上げた。 えーッ、それは止めて！ お願い！ 玲奈の心の叫びも届かぬまま、卓はハイヒールの靴底に舌を這わせはじめた。 靴底から踵まで卓は、玲奈の赤いハイヒールを綺麗に舐めまわしていった。 無理無理無理。 もう無理。 あなたの舐めたハイヒールは……。 数日後、卓の友人から電話があった。 卓はデートの翌日、もの凄い下痢を起こして一週間寝込んでしまったらしい。 「よほど変なものを食べたのかね」 友人は首をかしげていた。 勿論、玲奈は卓と別れた。 別にＭな卓が嫌いなわけじゃない。 エリートでイケメンでＭな恋人は申し分ないのだが、やはり……。 卓とは、もう絶対に普通のキスは出来ない。 いや、犬糞を踏んだハイヒールの底を舐めた男の顔は二度と見たくはなかった。 これ以上付き合うのは、やはり無理だ。 　　　　　　　　　　◆ 三島卓はＸ大学経済学部に通っている。 将来は官僚か一流企業への入社が決まっているかのようなエリートで、しかも男前だった。実家も裕福で、都内のマンションに住んでいる。 Ｓ女子大に通う白河玲奈という彼女もいた。 ある日、卓は玲奈に赤いハイヒールをプレゼントした。 次のデートで玲奈は赤いハイヒールを履いて来た。 卓は玲奈に土下座して、赤いハイヒールにキスをした。 「玲奈様、僕を奴隷にしてください」 卓には少しばかりマゾの気があった。 鞭で叩かれたり蝋燭を垂らされたりするのは嫌だが、ハイヒールで踏まれたりすると妙に興奮を覚えた。 玲奈もカッコイイ彼氏の卓に頭を下げられて決して悪い気分ではないらしい。 恍惚の表情を見せ、卓のされるがままになっていた。 卓はハイヒールの踵に舌を這わせ、靴の裏まで綺麗に舐めた。 次の日、卓は恐ろしい腹痛にみまわれて、下痢を起こし、一週間寝込んでしまった。 原因は多分、玲奈の靴の裏を舐めたことにあるようだ。 しかも、寝床から起き上がってから、玲奈のもとに電話をしたが、着信拒否になっていた。数日後、共通の友人がそれとなく、玲奈が別れたがっていると伝えてきた。 何故だ。卓は頭の中が真っ白になった。 あの腹痛以来、卓はあらゆることに気力がなくなってしまった。 いつ下痢が襲ってくるかという恐怖から電車にも乗れなくなってしまった。 大学も休むことが多く、ようやく進級は出来たものの成績はガタガタだった。 理由もわからぬまま玲奈にふられた。 友達が 「新しい彼女を作れば大丈夫だよ」 と言って合コンに誘ってくれたが、玲奈のことを思い出すと一歩先にすすめなかった。 それでも友達はありがたい。 卓に興味を示した女性に、 「あいつ足フェチだから」 と耳打ちをしてくれた。 卓と女性が二人きりになった時、女性が 「舐めてもいいよ」 と言って、卓の前に足を突き出した。 卓は跪き、女性の靴にキスしようとしたが、下痢の記憶が蘇った。 駄目だ。 「俺はもう女性と付き合うことも出来ない」。 卓はその場で号泣し、女性は驚いて逃げてしまった。 一流企業への就職が約束されていたかに見えたのに、就活をしてもどこの会社からも内定はもらえなかった。 そうこうして、四年の夏を迎えてしまった。 ようやく電車には乗れるようになったが、就職も決まらず、ほとほと困り果てていた。 その日、卓は、ある中堅商社へ会社訪問に訪れた。 応対に出たのは人事部の石田晴美という30代前半くらいの女性だった。 「三島卓君ね。 Ｘ大学経済学部で、うちの会社を受けようっていうの？　 マジ？　 なんかわけあり？」 「御社の将来性に自分の人生を活かせるのではと……」 「うち、将来性ないよ。 でもまぁ、君みたいなイケメンが入ってくれたら、歓迎だけどね」 「はぁ……」 「よし。今日はお姐さんが奢ってあげるから、飲みに行かない？」 どういう人事部だ、と思ったが、その日、卓は、石田晴美ともう一人、営業部の初瀬麻衣子の三人で飲みに行った。 晴美と麻衣子はすすめ上手で酒豪だった。 「三島君、ホントのこと言いなさいよ。 君はなんで、うちの会社を受けようと思ったの！」 酔っていた卓はつい、ホントのことを話してしまった。 しゃべってから卓は「しまった」と思った。 女の靴を舐めて腹をこわした話なんて、笑われてバカにされるだけだ。 ところが、晴美と麻衣子は笑わずに、卓の話を真剣に聞いていた。やがて、 「あんたね、バカ？ 外を履いた靴の裏なんて、舐めちゃいけないのよ」 晴美が言った。 「ええ。わかっています」 「これに懲りたら、外履きの靴の裏なんて舐めちゃ駄目よ」 「はい」 「舐めるんなら、うちの中でしか履かない、それ用のハイヒールにしなさい」 「えっ？」 卓は驚いた。 舐めるなら？うちの中用のハイヒール？ この女たちは何を言ってるんだろうか。 酔っているから、あらぬ声が聞こえているのか。 しかし、それはまさしく現実であった。 「いいわ。三島君、特別にお姐さんのハイヒールを舐めさせてあげるわよ」 麻衣子が言った。 「付いて来なさい」 卓は晴美と麻衣子に誰もいない会社へ連れて行かれた。 麻衣子はロッカーから、箱に入ったハイヒールを出して履き替えた。 「この靴は外を歩かない靴だから。 舐めてもいいわ」 「どうしてそんなものを持っているんですか」 「たまに男に舐めさせてあげるためよ」 「じゃ、他の男が舐めた靴？」 いくら卓でも他の男が舐めた靴はという思いはあったが、 「ちゃんと消毒してるわよ」。 麻衣子は手に除菌スプレーを持っていた。 そ、それなら……。 卓は床に跪いた。 「よし。じゃ、土下座して、麻衣子様、お靴を舐めさせてくださいってお願いしなさい」 卓は土下座をした。 麻衣子は卓の鼻先に靴を突き出した。 卓は恐る恐る、エナメルに舌を這わせた。 「ほら、三島君の舐めたいのは靴底でしょう」 麻衣子は靴底を卓の顔に押し当てた。 卓は麻衣子のハイヒールの底をうやうやしく舐めた。 玲奈の外履きの靴のようなジャリジャリした砂の感覚や埃の異臭も感じない。 皮の匂い味だけがする靴底だった。 これなら舐められる。卓は下痢のトラウマを克服できたのだ。 ありがとう、麻衣子様、晴美様。 卓は、晴美に見られ、麻衣子の靴底を舐めながら感涙にむせんでいた。 「三島君、絶対にうちの会社に入りなさいよ。 そして、私たちの奴隷になりなさい。 いつでも靴の裏を舐めさせてあげるわよ」 「はい。ありがとうございます。 僕はお二人の奴隷になります」。 卓には未来への希望が見えた気がした。 そして、晴美と麻衣子は、この先どうやってイケメン君をいたぶって遊ぼうかと、期待でいっぱいになっていた。

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