目覚め

作・たぬべえ

3

岡田健彦は悩んでいた。 気になっていた女性、古橋美奈子が風邪で会社を休んだ。 「様子を見に行ってあげたら」 と言ったのは、窓際族……なのか、50歳を過ぎてヒラ社員の和田さんだ。 「上司なんだから。 様子を見に行ってもおかしくはないですよ。 風邪なら、プリンとスープを買っていってあげると喜ぶんじゃないかな」 和田さんというのは、なんでもよく知っている。 おそらく健彦が美奈子に好意を寄せていることも知っていたのだ。 だから、世間話風にそんなことを言うんだ。 和田さんに背中を押されて美奈子のアパートに行った。 そしたら……。 人生の流れというのか、健彦は毎週火曜日に美奈子と会ってＳＭプレイをする関係になった。 健彦はＳＭ趣味ではない。 美奈子を受け入れようと思った。 それで美奈子が喜ぶならと、美奈子の前に土下座し、鞭で打たれた。 火曜日の夜は１時間ほど、美奈子とファミレスなどで食事をし、そのあとラブホテルで２時間ちょっとＳＭプレイをする。 健彦には、奴隷の時間よりも、恋人のような友達のようなただ食事をするだけの１時間が至福の時だった。 なんとかしなければ。 このまま奴隷でいいのか。 もう一歩進まないと。 「付き合っている、わけではないんですけれどね。 時々一緒に食事をするだけの女性がいるんです」 ある日の昼休み、健彦は和田さんを食事に誘い、そうきり出した。 会社から離れたとんかつ屋に行った。 会社の他の連中には聞かれたくなった。 「上ロース食べていいですか」 和田さんが言った。 「えっ？」 「私に相談があるんでしょう。 上ロース奢ってください」 そう言って、和田さんは笑った。 「ほら、ただでなんか教えてもらうと、負担になるでしょう。 恋のお悩みなら1800円の上ロースが妥当かと」 「勿論ですよ。特上でもいいです」 「いや、上で結構」 和田さんは言った。 「イベント、ですかね。 なかなか進展しない相手と親密になるなら、イベントがいいですよ。 旅行、とまではいいませんが、ハイキングにでも誘ってみたらどうですか」 「ハイキング？」 寝耳の水の健彦の言葉に美奈子は驚いた。 いつものファミレスで食事中に健彦が言った。 「今度の日曜日、ハイキングに行きませんか」 「そら、行ってもいいけど……」 と美奈子が言ったら。 「よかった。 是非お願いします」 健彦が笑顔で言った。 「和田さん、ちょっと相談したいことがあるんですけれど」 美奈子が和田さんに声を掛けた。 いきなり健彦にハイキングに誘われて、どうしていいのかわからなかった。 「Ｂっていうイタリアン知ってる？」 和田さんは言った。 会社から離れたイタリアンレストランだ。 パスタのランチが800円……。 「女の子に奢ってもらうのは悪いけれど、古橋さんもただで他人にものを聞くのは心苦しいでしょう」 こういうことを平気で言うんだ。 和田さんって人は。 確かに。 ランチを奢っているとなると、ものを聞くんでも美奈子が優位に立てる。 和田さんって案外、Ｍ気質を持っているんじゃないか。 「あのね、ある人からハイキングに誘われて」 「えっ？　 ハイキング？」 和田さんはなんか嬉しそうだった。 和田さんは 「いつも通りにすればいいんじゃない」 と言った。 美奈子はもちろん、和田さんにＳＭの話はしていない。 だが今日、和田さんと会って、美奈子は思ったことが一つあった。 いつも健彦とＳＭプレイの時、食事代、ホテル代を健彦に払ってもらい、小額だが帰りのタクシー代までもらっていた。 プレイ代まではもらっていないが。 女王の私が奴隷に金を払ってもらっている。 貢ぎものと思えばいいのか。 でも金を払ってもらっていることで、健彦に遠慮があるんじゃないのか。 たとえ800円のランチでも、今日は美奈子が和田さんに奢った。 だから、なんでも聞けた。 このハイキングで、健彦との関係を見直してもいい。 ＳＭの関係を止めて、ただの上司と部下に戻るのか、女王と奴隷の関係を続けるのか、それとも健彦とのことを本気で考えるのか。 日曜日、健彦はレンタカーを借りて来た。 ハイキングでなくドライブか。 高速で群馬の景勝地に行った。 人が多く、疲れるだけだった。 健彦がソフトクリームを買ってきた。 「つまんない」 美奈子はそう言い、ソフトクリームを投げ捨てた。 「つまんないって言ってるの！」 美奈子は地面を指差した。 さっきまでわりと機嫌のよかった美奈子が豹変した。 「どうこうこと？」 「いつもみたいに、土下座して」 「土下座？　ここで？」 観光地の駐車場だ。 しかし、美奈子には逆らえない。 「わかった。わかりました」 健彦は地面に膝をつき、かなり不恰好に頭を下げた。 人の目が気になる。 ここで頭を踏まれるのだろうか。 「ねえ、岡田さん、あった？」 美奈子が言った。 「もう、五百円玉落とすなんて、あっ、そこじゃない？」 土下座じゃなく落とした硬貨を探すふりをした。 車に戻った。 「やっぱ、あそこでプレイは無理よね」 美奈子が言った。 美奈子は景勝地で、土下座や靴舐めの写真を誰かに撮ってもらう気でいたらしい。 「なんで写真なんか」 「思い出にしたかったんだよ」 「思い出？」 「だって、こんな関係いつまでも続くわけじゃなし」 「僕はいつまでも美奈子様の奴隷でいたい」 健彦は言ったが、美奈子はしばらく黙った。 そして。 「５キロ先にラブホテルがある。そこに行きたい」 美奈子が言った。 田舎のラブホテルだ。 装飾が昭和だった。 いいんだ。 部屋なんて、どうでも。 いつものように、健彦が全裸で土下座した。 あれ？　今日は目の前に美奈子の巨大なバストがない。 そのかわり、やや太い足がむき出しになっている。 「新しいボンテージ買ったんだ」 美奈子が言った。 「私だって、いつまでも健彦とプレイがしたいよ」。 そう言うと、簡易ロープで手早く健彦を縛った。 麻縄はまだ難しいが、普通のロープでなら、わりとうまく縛れるようになった。 バラ鞭のあとは、健彦を床に寝かせた。 そして、蝋燭で責めた。 「熱い、熱い」 胸が赤く染まる中、健彦は泣いた。 「辛いのね」 健彦のペニスはしぼんでいた。 美奈子は胸を出し、健彦の顔におおいかぶさった。 少し勃起したみたいだ。 そのまま体をずらすと、健彦に顔を近づけ、涙を舐めとった。 「男の癖に泣き虫」 言うと、そのまま健彦に唇をあわせた。 二人の関係がはじまって、はじめてのキスだった。 さらに健彦のペニスが反応した。 「いいよ。今日は少しだけ前に進もう」 美奈子が言った。 「私たちは次のところに進もうね」 美奈子はゆっくりと、半勃起の健彦のペニスの上に腰をおろした。 しばらくして、岡田の会社の部下、三島卓と初瀬麻衣子の盛大な結婚式が行われた。 仲人はその少し前に結婚した、岡田健彦・美奈子夫妻だった。 「実は僕たちも新婚なんです」 岡田が挨拶した。 そんな仲人の挨拶があるか。 「でも、結婚生活を円満に送る方法は知っています。 奥さんのお尻に敷かれることです」 会場は大爆笑だった。 まさか、ホントに健彦が美奈子の尻の下に敷かれているとは思ってもいないからだった。

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